これで韓国は気づくのかな?
沈没事故で露呈したのは、韓国社会の裏切りの連鎖だ | 김종엽
本文中にとても印象的な文言が添えられていた。
「私は無能で怠慢であり、職務そっちのけで特権を享受して、ほとんど腐りきっているが、他の人は私と違って、職務に忠実できちんと仕事をこなすだろうという信頼」
これ自体は、OINKと笑うべき話・・・だとは思わない。誰だってそう考える瞬間があるだろう。人種だとか宗教だとかを超えて。
そしてこの事件がOINKの象徴なり得たのは、国…いや民族として「権利は主張しても義務は果たさないのが蔓延してしまっている」からだと思う。
この話は「知ってた」事案だ。本格的な韓国ヲチャーでなくても、韓国国内・日韓関係の話題の中でこれを指摘できる例は多すぎて、例を出すのが面倒くさいくらいだ。
あえて“日本人は”と書くが、そうは言いつつも最低限+αをしてたり、誰かが果たさなくても充分に果たしてる人がカバーしてたり、大事になる前に露呈するシステムがまだ稼働している、からこうはならずに済んでいる・・・のだろう。
この件が2ちゃんやはてブで「かわいそう」だけで話が終わらないのは、そこにあると考える。
自身が無能であることを認識しているということは、その言葉に無力も内包していると認識している。なにもしない・なにもできない人が潮流に流れ流されたその結果は、元来無条件で受け入れなければならないはずである。選挙で投票しない・白票を投じるのは拒否ではない、結果の信任票であるように。
無知無能無力が、なさなかった結果に不満があるとき、そして結果に責任を負いたくないとき、使いたがるマジックワードがある。
「騙された」と「私は被害者だ」なんて系列の責任回避の言葉だ。
韓国は、韓国人はいつだって被害者面だ。その前にやれることはあったのに実践してこなかった。「やれることあったろう?」と問い詰めると「被害者にも責任があるのか?」「被害者がかわいそうだと思わないのか?」系の逆ギレでお茶を濁してきた。
その結果がセウォル号だ。
これは、立ち直り生まれ変わるための“愛のムチ”だ
ざまぁww