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黒岩よしひろ氏の不遇

 

黒岩よしひろ氏の死に思う 描き切れぬ漫画家の苦悩― スポニチ Sponichi Annex 芸能

ポスト桂正和に据えたい思惑あったんだろうけど、ジャンプ系列じゃなくて、少年キャプテンとかコミックNORAに移籍していれば、芸風活かせてたろうに…とは「打ち切り漫画家」と揶揄されてた当時思ってた

2018/06/07 05:23

  黒岩よしひろ氏は当時、抜群に絵が上手い漫画家の一人であったし、面白い物語を書ける漫画家の一人であった。
 ただしそれは、ちょうどこの時期にあった漫画の変革期が、その才能を分断してしまった。ゆえに、知名度は悪くない…いや「黒岩うちきり」として名を残す結果になってしまった・・・
 という話を残しておきたい。

 

 先に含ませたとおり、1980年代半ばくらいに漫画は一つの変革期にあった。それまでは少年漫画と少女漫画、青年向け、劇画といった読み手の年代や性別が漫画の基本的区分けだった。それしかなかった…と言って過言ではないだろう。
 ちょうどこのころの青年漫画は、ビーバップハイスクールとか島耕作シリーズみたいな、学園や会社などを舞台に等身大の主人公による空想感皆無な世界観が主流であり、空想世界は少年漫画のものとする風潮・棲み分けみたいなものができていた。
 そこに、大友克洋士郎正宗を筆頭とした空想世界を描くことを得意とする、ペンタッチは青年向けながら青年向けの枠に収まらないジャンルが分家した。またこの頃、白泉社から月刊コミコミが創刊され、このジャンルに特化した漫画家を擁し始めていた。
 たしかこのジャンルを当時は総じて、ニューエイジとかニューウェーブとか呼ばれてたはず*1である。そして、金鉱であると気づいた編集部が少年キャプテンコミックNORAコミックコンプといった雑誌を次々と創刊させていく。今で言うところのマニア向け漫画誌の萌芽の時期であった。それが1980年代半ばから90年に至るまでの業界の流れだ。

 と、当時の下地を説明したところで本題に戻る。
 黒岩よしひろ氏は画風は正統派少年漫画、作風はニューエイジと呼ぶべきものがあった。当時も…なのかもしれないが、少年漫画はカッコいいヒーローと可愛いor可憐なヒロインが不文律だった。そこにカッコ可愛いヒロインをメインに…と新定義した黒岩よしひろ氏はジャンプ漫画としては異端と言ってよかった。
 ニューエイジと呼ばれた漫画家は、既存のジャンルとは違うアピールもあってか、麻宮騎亜伊東岳彦に見られるような粗いタッチなどを使った、スタイリッシュさやスピード感あふれる画風を編み出していった。
 このジャンル間の乖離が、黒岩よしひろ氏の不遇だった。

 ジャンプ読者層からすれば、絵は上手いが話が面白くない…っていうかなんか違う
 ニューエイジ層からすれば、話は面白いが絵が古臭い

 と、乖離したてゆえに、どっちの層からも支持されにくい無風地帯に収まってしまった。それが10週くらいで終わってしまう「黒岩うちきり」と揶揄されるきっかけとなってしまった。
 コミックコンプ辺りが次々と話題作の輩出を始め、ニューエイジからマニア向けと呼び名を変えた辺りで、マニア向けの画風も多彩化が見られ、黒岩よしひろ氏に再興のチャンスはあったはずである。
 だがそれには時すでに遅し、になってしまったのだろう。今から思い返すと「なんで売れなかったんだろうね」で語られる漫画家の一人に終わらせてしまった。

 画風は変えずに、ジャンプ王道なヒーロー物やラブコメが描けたなら、ペンタッチを当時流行に変えてマニア向けに転向したなら、たぶん黒岩よしひろ評は、今と全く違うものになっていたと思う。
 それがどちらもなされなかった・・・「結果だ」として締めたい。

*1:ただしこの呼び方は作劇方面に限らず、上條淳士江口寿史まつもと泉のような、当時流行のアートポスターやポップイラストレーションの技法を取り入れた漫画家も含む呼称でもあったと記憶してる